板金部会8月度例会

2001年08月03日

 開催内容 : 講演「昔の板金加工業について」(株)日豊製作所 白石社長様より 詳細 :今年度、第二回目の例会は、(株)日豊製作所 白石社長様にご講演いただきました。
ご講演の前に、本社工場と向日工場の二工場の説明兼通り診断をさせていただきましたが、会員各位からは「凄い」「きれい」の声ばかりで、通り診断では無理矢理悪い所を見つけてもらうよう、お願いしたような状況でした。 ご講演のテーマは「昔の板金について」ということで、白石社長様にお願いしましたところ、お忙しいなかで、御自身の御就職された当時から、御創業に至られるまでの御苦労話と、世相、そして設備や道具についての移り変わりを、本当に、わかり易く、丁寧にお話いただきました。
細かな内容は、白石社長様にお作りいただきました。レジメを後ろに添付いたしますので、どうぞご覧下さい。先にお話内容を、かいつまんでご報告致したいと存じます。
白石社長様は、昭和9年に大阪にお生まれになり、お父様は鉄工所を経営されておられたそうです。戦時中ですので、縁故疎開ということで、田舎の方へいかれたのですが、早く都会(大阪)へ戻られたいと思われていた所へ、鉄工所の就職話があり、京都へ…。
京都の鉄工所は、白石社長様の思われていた「機械加工、仕上げ、組立」とは違い、ここだけは嫌と思われていた「溶接屋」さんに近かった会社だそうです。(民家の一屋根を借りられて、10名ほどの会社で、当時では大きい方) 当時の溶接では、カーバイトなるものを溶かし、ガスを発生させ、溶接をされていたということで、その臭いはとても臭くて、煙、ほこりで一杯だったそうです。その後、アークの棒ができたそうですが、棒は粗悪で、現在の様に簡単に付けられるものではなかったそうです。当時のお仕事の環境はとてもきびしく、「食べられれば良い」ぐらいの就職難でもあったそうで、年間休日29日、AM6:00から働き、夜は12:00までが普通で、終業時刻は社長の戻り次第と、今では考えられないようなものであったみたいです。仕事はきつく、ちょっとしたことで熱い溶接棒で叩かれたり、仕事中手が空いていたら「物が飛んでくる」し、終わっても、先輩の作業服の洗濯・継当てをし、道具、定盤は常にピカピカに磨くようにするなど、大変なことだったようです。多分、今なら誰もいなくなる様なことだったのでしょうが、「逃げ出したくとも逃げられない」状態だったそうです。唯一、逃げ出しに使われたのが、「母、キトク、スグ帰レ」の電報作戦だったそうですが、一社で一回しか使えなかったそうです。
職人さんは、咥え煙草のポイ捨て(現在でも名残あり)で、お金にはいつもピーピーされていて、すぐに皆で飲みに行ったりという具合だったそうで、白石社長様も会社に前借りしてでも、部下や後輩を連れて、パァーッと行かれて、若い人を当時から引っ張っておられた様です。(最近ではめっきり少なくなってきた光景ですね)
工場設備や運搬の主力はまさに「人」「人力」で、あったそうです。工場内ではコロやテコ程度のもので、外では、骨太自転車、リヤカー、荷車が使われていたそうです。ある日のことでは、九条から、 石だらけの西大路を、カーバイトのガス発生装置とかをつんで、西陣の方まで2~3時間かけて、馬糞をよけながら行って、行ったら「火口を忘れた」で、結局また往復など……。(車はありがたいものです)設備や加工方法では、我々は「抜き」と言えば、「タレパン・レーザー」。曲げと言えば「ブレーキ」と機械(マシン)で行うことを想像しますが、当時は、「抜き」=「タガネ」「ケットバシ」「ブン マワシ」(これって何ですか?) 「曲げ」=「拍子木」「バッタ」「ポンス」(これって何ですか?) と言ったもので、ご説明を聞くと、本当に手間、暇かかりそうなものでした。
 当時、サンダーができた時は、それはそれは革命的なものであったそうですし、手押しポンプ付きの油圧曲板機(京都の井上油圧)も、大ヒットしたそうです。
ご就職当時は、ブリキ屋、火造り屋、ヘラ屋、銅工屋等、様々な業種に別れていて、板金屋、製缶屋という形ではなかったそうです。それが、昭和30年代後半より、世間、設備、機械が変わってくると共に、「工場板金への時代」「板金、製缶の分業の時代」へと移行し、現在に至ってきたとのことです。
お話の後半で、白石社長様より、長いご経験の中で、そして経営されているなかで、いつも気に留められていることを聞かせていただいたので、少しご紹介させていただきます。
① 自分の時とは違って、皆(社員)の働く環境は、本当に良くして行きたい!
② 地元京都の為に(経営者として) ・ 一人でも多く雇用すること ・ 1円でも多く税金を納めること ・ 社員には物心両面の幸せを与えること
③ 人に厳しく(就職された当時のように)言えない! でも、社員はいつか必ずわかってくれると信じて話をし続けている。
今日のご講演を拝聴し、「昔の厳しさ」「時代の移り変わり」や「経営者としての考え方」を知ることができたと共に、これからの厳しい時代にも「負けまい」という気持ちが湧いたのは、私だけではなかったのでは? 私達も職人としての「技」と、経営者としての「心」を昔のお話をお伺いしながら、良い勉強になったのではないかと思います。自分たちの「思い」を再認識できたり、「昔を知り(知らないことを知り)、それを明日、未来への糧としていく」ことが大切ではないかなぁと感じました。
本当にお忙しい中、白石社長様には貴重なお時間・お話をいただき誠に有難うございました。当日お世話になりました新村部長様はじめ、遅くまでご参集いただきました会員の皆様、ご苦労様でした。